2009年2月 告知

41歳で乳がん告知。マンモグラフィーに写らない位置のしこりを発見

私が罹患したのは、ステージ2Bもしくはステージ3A、HER2タンパク陽性、ホルモン受容体陽性の乳がんでした。ステージが確定しなかったのは、検査でリンパ節転移が判明せず、腫瘍が複数あったからです。

がん発覚時、私は旅行会社の添乗員として年間約200日は海外で生活していました。乳がん検診は定期的に受けていたものの発覚に至りませんでした。きっかけは違和感を感じたこと。つねられたような痛みを胸に感じることもありました。

心から信頼できる医師との出会い

2008年の春ごろ、胸の表面にしこりがあることに気づきました。乳がんに罹患した芸能人の方の喩えでよく聞くのが、「肉まんの中に梅干しがある感じ」というもの。そんなイメージとは違ったために、違和感を感じつつも自分のしこりはがんではないと考えていました。

乳がん発覚は41歳。欧米や秘境などを添乗員として飛び回っていたときのことだった

2009年1月になっても、胸にしこりが残っていました。だんだんと心配になってきた私は、付き添いをお願いすることもなく一人で、近所の比較的大きな病院の乳腺外科へ行ってみることに。その病院を選んだ理由の一つは姉が通院していたから。付き添いで病院に行ったこともあり、乳腺外科の存在を知っていたんです。ですから、直感的にその病院へ行ってみようと思ったんです。診察してくださった先生もはじめは「触診した限りでは違う」と仰っていました。ただ、念のためマンモグラフィーを行うことに。ところが私の乳がんは胸の上部、レントゲン画像に写らない位置にあったんです。それで、細胞診を行うことに。

その時、私は10日間の海外ツアーに同行する仕事を控えていました。先生は「仕事はキャンセルして今すぐ治療を開始できないか」とおっしゃいました。すぐに治療をしたい思いもありましたが、本格的に治療がはじまれば添乗員として海外に行くこともなくなってしまうだろうと考えました。そうするとこれが最後の仕事。そう思ったので行かせてもらうことにしました。

結果が出るまで約2週間。その間は一人になったときにふと心配になることもありましたが、毎日どうしようどうしようと気に病むようなことはありませんでした。もともと結果が出ていないことに悩まない性格。ちょうど仕事で海外にいたこともあって、あまり考える余裕もありませんでした。

そして細胞診の結果、乳がんの告知を受けました。最初は一人で行った病院でしたが、診察時は母、姉、姉の夫が同席してくれました。診察室へ向かう私は、どんな結果でも受け入れる準備ができていました。告知されたときは「やっぱりな」という思うくらいで、医師や家族の前で涙を流しませんでした。

乳がんの告知を受け、私はほかの病院での診察を受けてみることに。そこは、告知してくださった先生が紹介してくださった病院。先生に「今から行きますか?」と聞かれ、何も考えずに行きますと答えました。紹介された病院へ家族とその足で向かいました。午前中に受付を済ませたものの、診察室に呼ばれたのは13時過ぎ。紹介とはいえ、突然の受診、2時間以上は待った記憶があります。

診察室に呼ばれて、ドアを開けると中で待っていたのは私と同世代かそれより下くらいの年齢の医師。こちらを真っ直ぐ見つめる眼差しに、この先生なら信頼できると直感的に思いました。今振りかえって考えてみると、その先生は一人ひとりの診察時間が長かったんです。

不安なのは自分だけではなく、他の患者さんも同じ。一人ひとりの患者さんに真摯に向き合ってたんだと思います。私も真摯に対応していただいたせいか、待ち時間が長かったという感覚はありませんでした。がんと向き合う最初の段階で心から信頼できる先生に出会えたことは、本当に心強かったです。

がんを告知された夜、最初で最後の涙

職場には検査結果が出た後すぐ上司に電話で伝えました。次のツアーも控えていたので、代替の人をアサインしてもらう必要がありました。ですから、上司には早めに伝えなければと思っていたんです。上司からは「とにかくゆっくり治療してください」と言われ、それから仕事内容の調整を行いました。添乗員の仕事を内勤に変えてもらい、有給休暇も活用して3月末まで勤務。それから治療を開始しました。

私は友達から気丈だねと言われることが多いのですが、さすがにがんに罹患していることを知ったその日は泣いてしまいました。就寝前、なぜか涙が溢れ出して止まらなかったんです。まだがんのことを何も知らなかったので、がんと死をすぐに結びつけてしまい、まだ全然やりたいことができてないのに死んじゃうのかなって。はじめてがんのことを考えて涙が出ました。ただそれ以降がんに関連する内容で泣いたことはありません。未来のことは分からないし、悩んでも仕方がない。気持ちを切り替えました。ですから私にとってあの日の夜の涙が、がんで流した最初で最後の涙でしたね。

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

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