2011年5月 告知

まさか私が乳がん…医師が告げた「乳房全摘」という言葉に、気持ちが追いつかなかった

 
左側の乳頭に異変を感じ、乳腺外科へ

大学を卒業後、一度は大手メーカーに就職したものの、本場のタイ舞踊を習得するためバンコクに移住。2〜3年で帰国する予定でしたが、現地で就職や起業を経験したため、結果的に12年もタイにいました。仕事第一で考えてきた私が日本に戻ったきっかけは、子宮筋腫の手術を経験し、交際していた彼との結婚を具体的に考えはじめたこと。2011年2月に挙式を終え、翌月日本に本帰国しました。

異変に気づいたのはその頃です。左側の乳頭が歪んできたのが気がかりでした。愛犬2匹を連れての帰国だったので、その手続きや帰国準備で気持ち的な面で余裕がなく、しばらくはその違和感を放置していました。

引っ越しや婚姻届の提出など諸々の手続きが完了したのが5月の連休開け。生活に落ち着きが戻ってきたものの、どこの病院に行けばいいのか、どこの科を受診すればよいのか見当がつきませんでした。引っ越し先が初めての土地ということもあり、相談できる友達もなく…。インターネットだけを頼りに情報収集していましたね。自宅付近の病院に乳腺外科の先生が外来で診てくれることを知り、すぐに予約をして受診しました。

マンモグラフィーの検査をした瞬間、先生が「顔つき悪いね」と…。最初はそれがどういう意味なのか理解できませんでした。

事前に先生からは「良性の腫瘍であっても3cmを超えれば手術をすることになる」と伺っていたので、手術を受ける覚悟はできていました。タイに移住してから、帰国時には乳がん検診や人間ドックを受診していましたし、その検査結果にも異常も見つかっていません。告知を受けた時はまさか自分ががんに罹患しているなんて予想もしていませんでした。

組織診後、診療方針を告げられる。でも、乳房を失うことに強い抵抗があった

さらに詳しい病状を知るため、2日後に夫に付き添ってもらい大学病院で詳しい検査を受けに行った。朝イチで組織診を受けました。同日の午後に医師から「99%乳がんですね」とはっきり告げられました。それを聞いたときも「まさか、まさか、まさか、自分が乳がんだなんて」という気持ちで本当にショックで…。自分の家系にがんに罹患した人は一人もいませんでしたし、まだ当時は43歳。年齢的にも、自分ががんに罹患するなんてまったく考えたことがなかったんです。

ですが落ち込んでいる時間もなく、その日の午後には先生から今後の詳しいスケジュールを告げられました。それからは何度か通院する中でさらに詳しい検査をし、驚くほどのスピードで手術日程まで確定。乳房全摘の手術は6月末に行うことが決まりました。でも、私は自分の片方の乳房を失うことに強い抵抗があったんです。正直、自分の気持ちが追いついていませんでした。

「他の病院も行ってみよう」友人の言葉がセカンドオピニオンを後押し

主人以外にがんに罹患していることを伝えたのは、唯一の兄妹である兄と大阪に住む親友、バンコクに住んでいたときに知り合ったビジネスパートナーの3人。両親に伝えることはできませんでした。余計な心配をかけたくなかったことと、自分自身がまだがんに罹患していることを受け止め切れていなかったからです。

大阪の親友は電話で「切ってなくなってしまう前に、できることをやろう!他の病院も行ってみよう!」と言ってくれましたね。その言葉に強く心を押され、セカンドオピニオンという言葉が浮かんできました

その後、主人が勤める会社の産業医に相談。「今はセカンドオピニオンが普通だから行ってみたらどうか?」と勧められ、結果的にはセカンドオピニオンをすることに決めました。

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

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