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  • 肝臓がん・肝臓腫瘍

2016年1月 家族

家族に助けられた闘病生活。常に付き添ってくれた母と遠方から病院通いをした父、両親の偉大さに感謝した

病院選びから手術後まで。家族のサポートが大きかった

私のがん体験には、家族のサポートが大きな位置を占めています。まさか23歳という若さでがんに罹患するとは思いもよらず、どうしたらいいのか正直呆然としてしまっていました。社会人としても、デビューしたばかりで右も左もわからない状態。仕事に穴をあけるわけにもいかないと思い、自分の病気のことなのに自分自身は情報収集などに時間を割くことができませんでした。

病院選びから入院時の世話まで、家族のサポートがなければどうなっていたことか。特に両親には今でも頭が上がりません。

母は専業主婦だったこともあり、日中の時間を使って私の代わりに病院を探してくれたり、紹介してもらった病院の医師に会いに行ってくれたり、私以上に情報収集、病院選びのために動いてくれました。

入院初日から毎日欠かさず病院に来てくれて、手術当日も手術室の前まで見送ってくれました。後から聞いた話では、私の病室でひとり、手術が終わるのを待っていてくれたそうで、心から感謝しています。

母がいない間、実家で一人留守番してくれていたのは妹。普段は家族全員で世話をしている愛犬の面倒も見てくれていたそうです。当時、専門学校に通っていたこともあり病院には来れなかったものの、SNSで連絡を送って励ましてくれました。

父が苦手な新幹線に乗って顔を見に来てくれた。手術以後、コミュニケーションの機会が増えた。

父も、手術が終わる時間に合わせて病院に駆けつけてくれました。その日、父はわざわざ仕事を早く切り上げて、苦手な新幹線に乗ってきてくれたのです。私が目を覚ましたことを確認して、翌日の仕事のため地元にとんぼ返り。顔を見るために来てくれた父にも感謝の気持ちでいっぱいです。手術後の目が覚めた瞬間、ベッドの側に両親が揃っていてくれたことは何よりも嬉しかったです。

父は、術後も時々ではありましたが顔を出しに来てくれました。新幹線で、夜の面会時間ギリギリに駆けつけてくれていた父には感謝の気持ちを抱くとともに、面と向かって話すことができたのは嬉しかったです。それまで、父と向き合って話す機会があまりなかったので、そういう時間を持てたのはある意味貴重だった気がします。

父とは、がんに罹患するまではこまめに連絡を取り合うような間柄ではありませんでした。手術以降は、実家から帰るときに「身体に気を付けてね」などと突然ちょっとしたメッセージを送ってくれるなど、それまではなかったようなやり取りをするように。

私も父の日や誕生日のようなイベントの時にメッセージを送るなど、父とコミュニケーションを取る頻度が増えました。

がんに罹患したことで母と贅沢な時間を過ごすことができた。

母は、術後も地元に帰らず私の世話をしてくれました。私が一人暮らしをする部屋に泊まりながら、術前と変わらず毎日病院に通ってくれたのです。

思えば、母とはがんに罹患してから一緒にいる時間が増えました。二人でDVDを見たり、病院内を散歩したり、とりとめもない話をしたり、今までになく贅沢な時間を過ごせました。

それまでは実家を出て一人暮らしをはじめ、母と過ごす時間がほとんどなくなっていました。入院をしたことで実家にいた頃と同じような毎日顔を合わせる生活に。がんに罹患しなければ母と二人きりでこんなに長い期間を一緒に過ごすことはなかったはずです。

術後はゆっくりしか歩けない私の横でいつも明るく励ましてくれました。改めて母に感謝しましたし、自分が将来結婚し家庭を持ったら母のような人になりたいと思わせてくれました。
 

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。
新型コロナウイルスの影響によりテレビ会議を用いて取材を行ったため、写真は後日追加予定です。

Hatch Healthcare K.K.

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